何か凄いものを見たり聴いたりしてその感想として「天才」「センスが凄い」「神」だとか言う場合は、恐らく十中八九褒め言葉として発しているのだと思うし、私も使いがちだけど間違いなくそのつもりで言ってます。
しかしたまにフッと思うのはその言葉は見方によってはその作品を作った人に対しての暴言にもなるんじゃないかな思います。
少し分かり辛いところですが、自分が発したその感想は根柢の部分で「なんだか自分の理解の範疇を超えてとにかくすごい事は伝わった!」みたいなニュアンスが潜んでいて、ある種具体的な感想を考えるのが面倒くさいからとりあえずこう言っておけば良いだろうというテンプレート感があります。
でもその作品を作った人は間違いなくその作品を完成させるに至るまで数々の努力を積み重ねて、その結果達成し得たことなので、その作品の凄みや完成度は成るべくしてそう成ったと言えます。
そうなるとこの「天才」という言葉に凝縮された、さも何の努力もせずに作り上げて当然のように簡単にアウトプットしたような感じはその努力を全て見なかった事にしてるんじゃないかなと思うのです。
もちろん発した側は前述通り悪意があるわけではないですし、恐らく受け手側も多くの場合は好意的に受け取ってくれると思うのですが、ニコニコ動画などでこの「神」や「センスが凄い」などの感想を山ほど見てきてちょっと思った事でした。チラシの裏ですねぇ。
私もこの事を常に意識しているわけでもないので非常に使いがちなのですが、人や作品を賞賛する時はもう少し具体的にしたいなと思います。
最後にかなりどうでも良く、これは私が捻くれてるだけな気もするんですがTwitterでbotで自動的に作品の宣伝をするように組み込んでる人は自分の作品の宣伝をする気が無いのかな?と思ってます。
完全に状況としては真逆にあたるんですが、自分の作品の宣伝くらいは自分の手でしっかりやったら良いんじゃないの?自分の作品なのに面倒臭いの?と思いつつ、最終的に「Twitterなんだから誰が何をどんな風にツイートしてようと自由だし、不満に思うならリムーブすれば良いじゃない」と自分で自分に言い聞かせて「確かに」と納得させてます。
宣伝はし過ぎるくらいが人目について丁度良いみたいな話もあったような気もしますがその辺の類かも知れませんね。
以上。